手を振る

2018/11/30

帰りのバスの中でラジオを聴いた。ぼくがぼんやりと無駄に歳を重ねている間に世の中は便利になっていて、もはやリアルタイムじゃなくても聴きたいラジオ番組が聴けるのだ。それでここ最近好んで聴いている神田松之丞という講談師の番組*1の1125放送の降板回と1118放送の浅草ノスタルジー回を聴いた。この浅草ノスタルジー回がほんとによかった。神田松之丞が浅草芸能大賞新人賞を受賞したということで、浅草に関する思い出話をしつつ受賞の理由はこれなんじゃねえかあれなんじゃねえかって考察する回だった。松之丞が浅草演芸ホールの寄席に通っていた時、三笑亭夢楽師匠というおもしろい人がいて、いまではもう亡くなっているそうだが、その当時夢楽師匠は「ヤギとセックスした」ってネタでいつも浅草を笑わせてたらしい。ここのくだりが本当に面白くて、バスの車内にも関わらず声を出して笑ってしまった。この番組を数ヶ月聴いた中で間違いなく一番笑ったと言い切れるくらい好きな話だったから、そこだけ何度も聴いて笑うっていうのを繰り返して、ボタンを押すたび気持ちよくなる猿みたいになってたら、隣に座ってたおばさんがチラチラこっちを見てることに気づいて、でもこっちはもう猿だからやめられないしおばさんはおばさんで気になるしでどうしようどうしようと思いながらもバスの車内にはぼくの押し殺しきれなかった笑い声だけが相変わらず聞こえていて、そうこうしているうちにバスが終点に着いてみんな降り出した。もちろんおばさんも降りていく。で、この夢楽師匠の話が、ヤギとセックスして最後帰る時ヤギが手を振ってたっていうオチだったんだけど、そこばっかり聴いていたせいで、気づいたらぼくも降りていくおばさんに手を振っていた。

TBSラジオは過去の放送が保存されていて*2、webでもアプリでも聴けるし*3、何より放送時間を気にせず後から好きな時に聴けるので便利です。)

*1:radiocloud.jp

*2:すべての番組ではないらしい。例えば「伊集院光深夜の馬鹿力」は見当たらない。

*3:

・web

radiocloud.jp

・アプリ

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映画みたい

2018/11/29

バスが遅れてきたせいで仕事に遅刻しそうになった。急いでいたから警備室の前を素通りしたら、人間がものすごい剣幕で飛び出してきて「バッジ(社員証)見せてください!」と叫んだ。映画みたいでよかった。普段これほど真に迫った人間にお目にかかることがないので、つい迫真の演技だと錯覚してしまったのだと思う。ここ最近はわざわざ社員証を見せることもなく挨拶だけして通っていた。今日の素通りとほとんど変わらない。もう顔を覚えられているんだと思っていた。それもあってさっきまで眠そうに座ってたおじさんがこんなにドラマチックに登場するだなんてまさか予想できなかった。こうやって唐突に日常を逸脱することがあり得るのだということにすこし嬉しくなった。

基本的人権

2018/11/28

エリクソンの今日の分を終わらせて、シーシャを吸いに行った。途中トイレに行くと店員が中で作業をしていた。タイルの張り替えをしているらしい。中断させてしまったので、出る時に「すんませんもういいですよ」と声を掛けると「いいよいつでも使って、基本的人権だから」と快活に返された。人権があると便利だなと思った。眠くて約束をすっぽかす場合や、やる気がなくて就活をしない場合や、単に働きたくない場合など、強いて「基本的人権だから」という理由で許していくと世の中に人権という概念が広まっていき、最終的には何も意味しない言葉になってよいと思う*1

帰り際に「髪型変えたんですけど胡散臭くなりました?」と聞いてみたら、「以前よりそれらしさは増したけど、見て胡散臭いなあと思うレベルではない」と言われた。ここ最近はめずらしくいろんな人に会っていて「無の人」だという評価をされることが多かった。胡散臭さが増したら謎が深まり、無もより深みのあるものになるだろうと思う(のでそっちに寄せたい気持ちがある)。

帰ってきて上妻世海の「制作へ」*2という真っ赤な本を読んでいたらラインが来た。「わがままになる」というので「そうしよう」と答えた。「わたしのどこが好き」というので「素直なところ」と答えた。食欲はなかったけどお菓子を食べたらもっと食べたくなってしまった。

*1:どんな時にでも使っていけばじきにそうなるはず

*2:

制作へ 上妻世海初期論考集

制作へ 上妻世海初期論考集

 

殺人的傾向のある患者

2018/11/27

最近「ミルトン・エリクソン心理療法 <レジリエンス>を育てる」*1という本を少しずつ読んでいる。

今日は「殺人的傾向のある患者」のところを読んだ。質問の力についての記述が主なトピックだった。「質問する人が会話の主導権を握る」だとか書いてあった。「殺人的傾向のある患者」の話は、簡単にいうと精神科医であるエリクソンが患者に殺すぞと言われたがうまいことをやって難を逃れたという話だ。順を追って書いてみよう。

エリクソンがエレベータに乗り込むと、待ち伏せしていた患者に「いまから殺してやる」と言われる。エリクソンが「で、ここでやるの、それともあっち?」と聞くと、患者はエリクソンの指す「ここ」と「あっち」を目で追った。エリクソンはその隙に「あっちにはことの後でゆっくり座れる椅子があるなあ、もっと向こうには他の椅子もある」などと言いながらエレベータを出て行き、最終的には着いてきた患者と二人で看護師が集まる詰所に到着する。

これで一件落着というわけだが、患者がエリクソンを殺害せずに気が収まってしまったのはどういうことだろう。この患者はおそらくエリクソンを殺害したいわけではなかった。解説には「もしこの患者の基本的な行動指針が、権威をもつ重要人物に真剣に取り合ってもらうことだとしたら、彼の任務は達成されたことになる」*2と書かれている。彼が実際にエリクソンを殺害していたとして、抱えていたフラストレーションが解消されることはなく、むしろより大きなフラストレーションを抱えていたように思えてならない。

このエピソードからは相手の言い分を受け入れることの重要さが示唆されている。「いまから殺してやる」に対して「やめろ」「それはよくない」などと言ってしまうと激昂させてしまって危ない。これは特殊事例だが、コミュニケーションをしようと思うなら単になんらかの意見の相違があるという場合にも、まずは相手がそう思っているということを受け入れる必要がある。その後で対立する自分の意見を言う場面があるかもしれないが、基本はこのエリクソンの「相手の力を利用する」スタンスでいきたい。ぼくがエリクソンの本を読んでいるのは、こういう考えがぼくの中にもあるからだ。技術的には未熟だとしても、外圧で何かをさせるのではなくお互いに納得のいく結論を出したいという気持ちはずっとあった。ここでいう外圧には、強い論理で有無を言わせずに従わせるというようなことも含まれる。力で屈服させるようなやり口に人並みに嫌悪感を抱いていたというのもあるが、それ以上に未熟さを感じてしまうというのが大きい。うまく自分の気持ちを伝えられない子供が暴れているのと同じように見えてしまうのだ。それは全然コミュニケーションではない。理想的には「これがやりたい」、最低でも「これはやる必要があるよね」というところまで各自で納得しなくてはコミュニケーションではないと思う。わざわざ気を使う必要すらなくて、相手を尊重できればそれでいいはずだ。

相手の言い分がこちらを害すこととなると受け入れるのはなかなか難しいが、エリクソンは平然とそれをやっている。「相手の力を利用する」という表現はあまり気持ちのいいものではないが、エリクソンが「利用する」のは本人の成長のためなので、誤解のないようにしたい(彼は治療を患者の成長を手助けするものとして認識していた)。もっというと成長するのは成長する本人の話なので、外圧を持ち込まないようにするなら「相手の力を利用する」以外に方法がないと思う。

エリクソンの考え方はジョジョでいうと二部のジョセフのやり口に近い。信念は別として戦い方としてはジョセフが一番好きだったなあというのを思い出した。

*1:

ミルトン・エリクソン心理療法: 〈レジリエンス〉を育てる

ミルトン・エリクソン心理療法: 〈レジリエンス〉を育てる

 

*2:P98

涙液の記憶としてのノスタルジー 〜さめほし個展「OneScene」に寄せて

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彼女は何を見ているんだろう?
これが昨日ぼくが新宿眼科画廊に足を踏み入れて真っ先に抱いた疑問だった。

昨日(2018/10/26)からさめほしさんの個展が始まっている*1。新宿眼科画廊のMスペースに展示されていて、中の様子は外からでも見える。入り口がガラスで透明になっているからだ。入り口の正面に飾られている作品が今回のDMにもなっている「OneScene」だ(冒頭の画像)。描かれている少女は、明らかになにかを見つめている。そのなにかは、オレンジ色のなにかであって、どうやら発光しているようだということしかわからない*2。家に帰るまでずっとその目に映っているものはなんなのだろうということが頭にひっかかっていたのだけど、それは具体的な何かというよりもこの少女だけが知っている OneScene / ひとつの光景 なのだろうと結論付けることしかできなかった。それでもひとつわかったことがある。この少女が見ているのはぼくだけが知っている光景でもあるということだ。

それは「OneScene」という作品だけでなく、さめほし作品に固有の構造によって理解される。

さめほしさんの作品にはすぐわかる特徴がある。作品に登場する少女が多かれ少なかれ滲んで輪郭や空間が崩れているのだ。彼女たちはなにに滲んで崩れているのだろうか。空間が崩れている以上、そこに描かれている光景は客観的な風景ではないだろう。そして主観的な視界を滲ませるのは涙以外にあり得ない。今回の展示を見て思ったのは、どの作品からもノスタルジーが感じられるということだ。勿論どの作品も鑑賞者の記憶を描いたものではない。懐かしさを喚起するモチーフが描かれているわけでもない。ではどこからそういう印象が起こるのかといえば、涙を通して見られるという構造に起因しているのだ。個人的な経験の内には無い記憶をこそ感光させる水分の多いさめほし作品の絵の作用が、老若男女変わらない根源的なノスタルジーに触れている。そう考えざるを得ない。

つまり、さめほしさんの絵は光として飛び込んでくる涙液の記憶なのだ。

OneScene。
少女は少女の涙液の記憶を見ていた。ぼくはぼくの涙液の記憶を見ていた。

*1:f:id:mabutast:20181027142948j:plain

*2:髪の毛に点々と反射されている様子からそれはわかる。

めちゃくちゃ久しぶりにガガガSPの卒業を聴いて

www.youtube.com

*1

夢をありがとうって歌詞が最後にあるんだけど、そこまで聴いてこれすげえなって思った。男は、特に恋愛経験の浅い男は完全にこれ。ただ普通に生きてるクラスメートをやたら担ぎ上げてとんでもない夢を見ちゃうってやつ。そのクラスメートだって客観的に見れば何一つ突出した所のないどこにでもいる普通の女子生徒であって、クラスのイケメンが好きだったりするわけだし、なんならさっき「そこどいて」って言われた声といまイケメンと話し始めた声が露骨にオクターブ違ったりするわけ。それでいて女子生徒を担ぎ上げるさえない男子生徒だってそれらの諸々に気づいてはいるわけ。だけどすごいのはここからで、その諸々を踏み越えて「俺にはこの子しかいないんだ」って根拠もなく思い込む視野の狭さとそれを補強し続ける無尽蔵なエネルギーが彼にはある。これがすごい。

こないだキャバやってる子と会うという話になって、キャバクラに行ったことがないぼくからしたら勝手なイメージで派手な女が来るのかなとかもしかしてギャルみたいな感じじゃないかとか都合よく考えて会いにいくわけだけど、出て来たのが平成の怪物で思わず「よくここまで育てましたね」って言ってそのまま帰りました。思わず丁寧語になっちゃうくらいのインパクトがあったわけだけど、この怪物も昔はクラスメートの女子だったわけじゃんか。学校という特殊空間と思春期とでぐちゃぐちゃになった情念がなくなれば結局はどれも制服を着たタンパク質だろ? いや、平成の怪物と形容していいようなキャバ嬢はいないよ。いないいない。ぼくは誰とも会わなかった。

とはいえ「イケメンが好きなんだろう」とか「こっちのことは目にも入っていないんだろう」とかいう程度にはしっかり状況を把握しているわけなんだけど、その上で反対側のシーソーに乗った客観性がどっかに飛んでっちゃうくらい主観が強いわけ。なにがよかったかってこれなんだよな。ぼくはこの圧倒的な主観性がほしい。なにやったって結果は惨敗だよ。でもこれが生きてるってことだと思う。

子宮から龍宮城を釣り上げるまでは死ねない老人性のリビドーで使い物にならなくなった悲しき玩具を目の当たりにして自分が玉手箱を開けていたことに気づいてからでは遅いんだよ。いやほんとに。この意味がわかるか? おまえらにこの意味がわかるか???

動物と比べられた時の人間と機械と比べられた時の人間との間で見失われた本物の人間がどう生きるかということをきみたちも一度よく考えた方がいい。これは忠告です。ぼくだけの話ではない。

全然関係ないけど、これだけは平成のうちに言っておきたい。松坂選手、夢をありがとう。*2

 

*普段とだいぶ違う印象を受けると思いますがイメチェンしたわけではなくて単に取り乱しているだけです。人間性を疑わないでください。取り乱しているだけです。ここ最近ずっと取り乱しています。

*1:ぼくが高校生だった時に流行っていた青春パンクというジャンルの中でもわりと売れていた有名な曲です。このPVは後ででたベストアルバムの時に改めて作ったもののようです。当時のPVの方がよかったのだけど、YouTubeにはこっちしかなかったのでしかたなくこっちを貼っています。こっちの動画だと歌詞も歌メロも変わってるけど、ぜんぶオリジナルの方がよかった。

*2:松坂選手:甲子園の決勝で59年ぶり史上2人目となるノーヒットノーランを達成するなど圧倒的な活躍でチームを春夏連覇に導いた、いまさら説明するまでもない本物の平成の怪物

かさほた5

傘と包帯第5集*1を公開しました。

今回はこれまでよりも読まれてるようだ。さめほしさんの絵がかわいい。この絵はデータだけじゃなくて実物の作品を購入したので、物体としていま目の前にある。iMacの前からこちらを見上げている。

寄稿してもらった岩倉さんの作品が note のおすすめに載っていた。なにかのアルゴリズムで自動的に選んでいるのかと思ったけど、ここを見る限りそうでもなさそうだ。たぶん運営の人が岩倉さんのツイートを見たんだろう。