不純物
できるだけ、ぼくの中から出てきたものを遺したいなと考える。
いくら笑ってもぼくらはひとりぽっちで腐爛していく決まりだ。本当は何も残さずに、まるで嘘だったみたいに、そっと消えていきたいと思うのだけど、それはそれで作りものめいた話だ。作りものでいいのだけど、実現できるかなあというところでいまいち信頼できないでいる。中途半端ならいらない。そんな気分なのだ。
どうせ完全を期すことができないのなら、はじめからぼくが居た事実を認めてしまって、世界にも認めさせてしまって、その上でぼくはこんな人間だったのだとしっかりした輪郭を残した方が良いのではないかな。苦しまぎれに数十年間なんとか生き延びた人間が居たのだというストーリーを不完全にでも形にしておいた方が良いのではないかな。そういう思いがある。良いか悪いかは勿論ぼくがどう思うかによる。だから自分でしか決められない。決めなくても死ぬことに支障はないので、それはそれでいいのだけど。
ヒトなんてただの駒で、だけど一人一人異なる輪郭を持っている。例えば、日本人として日本に住み続けた人。例えば、昭和に生まれ平成の時代に生きた人。例えば、地方都市の外れで育った人。無数の「例えば」の一例としての人生。だからただの駒。だからみんな等価値。意味なんてないからみんな無価値。だけどそれぞれ一個しかないかけがえのない駒。そこにだけ価値を見出すことができる。存在するだけで発生する価値。それを無視すれば目的のない実験に参加させられた哀れな実験動物でしかない。それがヒトだ。そういう世界観がなんとなくある。*1そう考えなければぼくには価値を見つけられなかった。そしてぼくが生きるためにはそれが必要だったようだ。
だからその存在価値(或いは実験結果)にできるだけ不純物が混ざらないように、ぼくをそのまま遺せたらいいなと、いまのところはそういう風に考えている。*2