エネルギーの枯渇した人間に有効な道具

 双極性障害と診断されたことがある。病院に通ったのは二回か三回だけで、今は通院していない。治ったとは思わなかったけれど諸般の事情で通わなくなってしまった。

双極性障害(そうきょくせいしょうがい、英: bipolar disorder)は、躁状態(躁病エピソード)およびうつ状態(大うつ病エピソード)という病相(エピソード)を繰り返す精神疾患であり、気分障害の一つである。

双極性障害 - Wikipedia

 引用した wikipedia のページにも書いてあるが、双極性障害とはいわゆる躁鬱病である。

 躁状態と鬱状態の振り幅が最近とみにひどくなっている気がする。その境界に敏感になっただけなのかもしれないけれど、それぞれの場合で人格が全然違う。躁状態の時はなにもかもすべて自分次第のような気がしているし(つまり自分で何でもできるし、それを素晴らしいものにすることもできる)、鬱状態の時は何もかもが空虚に感じられる(何もできる気がしないし、仮にできたところですべて徒労だ)。

 どっちの状態であっても頭では反対の感覚を理解できる。それなのにまったく共感できない。あくまで言葉の上でしか理解できないのだ。

「世界が素晴らしいとは決して言えない。悲しみはすべてに宿っている。だけどその中で少しでも悲しみを感じないでいられる方法があって、それは素晴らしいことだよと言うことはできる。悲しみを生み出す人は応援できないが、悲しみを乗り越えようとする人は応援したい。」

 これが気分的な要素を排除したぼくの基本的な姿勢だ。だけど応援するエネルギーがある時に応援すべき人間の気持ちが理解できない。避けようのない落とし穴があることがわかっているのに落ちた後に有効な道具を用意できないのが、何でもできるはずの躁状態のぼくだ。結局のところ無力なぼくが気分に釣られて調子の良いことを言っているだけなのだ。しかもそれは後で落とし穴に落ちたぼくをもう一段下へとたたき落とす。

 これは今日になって気がついたのだけど、その応援すべき人間とは鬱状態のぼく自身だ。先週までの躁ぼくは今日の鬱ぼくを助ける道具をなにひとつ用意できなかった。そのため読書すら手につかなかった。ぼくはなんにもできなかった。有効な道具があるのなら教えてほしい。

広告を非表示にする