「人生をぶち壊そう」というスローガン

「人生をぶち壊そう」と考えたのは、ひとつの逆襲でした。

 現在のぼくの環境は比較的恵まれている方だとは思うが、自信がないということはどんなに恵まれた環境にあってもすべてを台無しにしてしまう。褒められても優しくされても感謝されても、過大評価をしないでくれという息苦しさをしか感じられなかった。ぼくが人を避けるようになったのは自然なことだ。休日に外出しないのを理解できないと人は言うが、ぼくには休日にまで外に出なくてはいけないことの方が理解できなかった。外には人がいるじゃないか。

 できるだけ人のいない方いない方へと迷路の奥深くへ迷い込んだ結果、人生の長さや苦痛の無意味さに押しつぶされそうになった。*1いろいろ言葉を弄んでも安らぎは得られなかったし、天使を喚び出してみても「自殺が最善の解決法です」としか言ってくれない。そりゃあそうだ。生きてるのが嫌なんだからそんなものはさっさと辞めたらいい。いたって簡単な話で、はじめから答えは出ているのだ。

 しかし。しかしだ。どうしてぼくが死ななくてはならないのか。これがよく分からない。楽になりたいのになぜわざわざつらい思いをしなくてはいけないのか。本末転倒ではないだろうか。自殺はしたいのだけれどそれにしても死にたくはないのだ。生きたくはないが死にたくもないのだ。つまり「死」を避けて死んだ後の結果だけが欲しいのだ。じゃあ「自殺がしたい」は嘘じゃないか。いやそうでもない。自殺は「死」を迂回して死ぬ方法を考えるところから始まるからだ。そうでなければ自殺の方法なんてのはありふれている。首つり飛び降りなんでもござれだ。練炭、硫化水素、ヘリウム、KCl などと流行まで発生する始末。だけれども完璧な方法は一向に現れない。そして「結局のところ迂回の道はないのだ」と観念した人から実行に移すのである。(だから「死にたい」と言いながら自殺を検討している人に「じゃあ今すぐ死ね」と言うのは全くのナンセンスなのでやめてください。それで死なれたらあなたも後味悪いでしょ。言ってる側は実は「暑い」とか「お腹すいた」とかと同じ感覚で言っています。エアコンもコンビニもロープもすぐ近くにあるけれど今すぐにどうにかしたいとかいう話ではないのです。)

 観念することなくごまかしながら日々を転がしていたら、何もかもがどうでも良くなってきた。色即是空だなんだといって言葉の上では随分前から理解していたつもりだったが、それがやっと身に馴染んできたようだった。*2そうなってみると「ぼくはなんでこんなことにぼくを犠牲にしてきたのだ」と思った。「さっさと切り上げたいはずの人生のために自分自身を生贄に差し出して生き延びていた」というわけだ。なんだこれは。どうなっているのだ。勝手に用意された苦痛をよりつらくより長引くようにわざわざぼくが手を引いていたのか。いや、もういい。バカバカしいがすべては過ぎ去ったことである。

 そしてぼくは決めた。これからは自分のために人生を犠牲にしてやろうと。臆病なぼくが楽に生きるため、そして楽に死ぬためのスローガンは、だから「人生をぶち壊そう」に決定したのだった。

*1:鏡地獄の彼みたいに一途になれればまだ良かったのかもしれないが。

*2:未貴族の決めごとで、ぼくの病と書いた「どうだって良いのだけれど」は、だから上辺だけの言葉で自信の無さの裏返しでしかなかった。