新しきは古きを殺す

青葉の一撃 EDDA は投げり凪げり

加藤郁乎「球体感覚」より

準備
  • 青葉の青は異体字
  • EDDA=古代北欧の古典。8〜11世紀のものと13世紀のものがある。前者は神話詩・教訓詩・英雄詩からなる。後者は、散文による作詩の手引書。
考察

 この句を散文に直すと「青葉の一撃を受けて EDDA が何かを投げて凪いだ」と読める。一番不可解なのは EDDA が何を投げたのかだが、これはおそらく自分の身を投げたのだ。投げた結果、凪ぐ(=動きがなくなる)のだから自然だろう。

 とすれば、青葉が与えた一撃は古典詩を自殺に追い込むものであるわけだ。それは容易にイメージできるが青葉の瑞々しさに象徴される新鮮さだろう。引き合いに出されたことで EDDA は自身の古くささを恥じて身を投げたのだ。そういうわけで句中の EDDA は古い方を指すのだろうと思われる。

結果

「由緒正しき古典詩も今この瞬間に目に飛び込む青葉の瑞々しい一撃で死骸に変貌してしまう」と読めた。

 初対面の単語(EDDA)のせいで一見して未知な印象を持ったのだけど、単語の正体さえ分かれば自分なりの解釈はできるものだということが分かった。それにしても「EDDA」なんて単語どこから拾ってくるんだろうか。加藤郁乎を知らなかったらぼくなんか一生お目にかかれなかった言葉だと思う。