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常識ゾンビ

「そらご覧なさい、君達があんまり無理を云ふもんだから、僕は此の通り氣違ひになつたぜ。噓ぢやない、ほんたうに氣が違つちまつたんだ!」

  かう云つて、泣きツ面をして、検査の當日に暴れ込んでやりたい。

(「恐怖」/谷崎潤一郎全集 第二巻/谷崎潤一郎中央公論社/S56.6.25)

 主人公は徴兵検査の手続きのため電車に乗ろうとしているのだが、乗り物に乗るだけで非常な恐怖に襲われるという不可解な持病のため、ホームのベンチに座ったきりいくつも電車を見送っていた。事情によりぜひとも今日手続きを済ませなければならないというのに一向に電車に乗り込めない彼が苦し紛れに繰り出した泣き言のひとつが上の引用である。

 ここを読んだ途端に子供の頃に味わった気持ちがまざまざと思い出された。他人はいつだってぼくの事情におかまいなしに常識をいう。しかしぼくにはこの常識とかいうものがよく分からぬ。分からぬだけではなくどうも気に入らない。こちらは用もないのにたいへんな苦しみに耐えているところなのだから、常識の方から頭を下げてくるのが筋だろう。それをなんだ、「常識だから従え」だとか「おまえはおかしい」だとか言ってあくまで傲然としているではないか。そんなもの、ぼくを基準にするならば、ゾンビのうめき声にすぎないのである。常識を用いる誰でもがそうなのだ。ぼくの観察によると普段の性質はまるで関係がない。日頃人当たりのよい人も、よく気が利く親切な人も、気の弱そうな人でさえ、ひとたび常識を手に取ったら人が変わってしまう。それだけでも恐怖を感じない方がおかしいだろう。自らが常識という道具を振りかざすことによって個性を剥奪されてしまっている事に気がつかないのだ。寄生虫に冒された生物にも似たこのおぞましさが迫害による直接的な恐怖にも増してぼくには恐ろしい。すでにぼくの目には彼がゾンビにしか映らなくなっているのである。

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