作者

4・13 〔身体という〕この密な接合の中に入った自己、それを見い出し、それに目覚めている人、彼は、一切の作者である。なぜなら、彼は一切を作るものであるから。世界は彼のものであり、彼は世界そのものである。
(ブリハドアーラニヤカ・ウパニシャッド 第4章)

 最近はウパニシャッドを読んでいる。ぼくがこれまで考えたことがそこには書いてある。すごくわかりづらく書いてある。読んだからわかるとはどうも思えない。自分で辿り着かなくてはならない。しかしそこまで辿り着いたからといってゴールはそこにはない。「世界はぼくのものであり、ぼくは世界そのものである」と考えがそこに至ったところでどうにもなりはしない。ある種の奇跡は必要なのである。

 しかし奇跡の後でも変わるのはぼくの認識だけであって、そのほかはなにもかも変わりないことは知っている。「変わらないものはない」という設定が変わらない限り、世界は通常運行だ。そしてその設定が変わるとき一切は静止する。他者に影響を与えないものはひとつとしてないのだ。何かひとつでも変わらなくなったとしたら、すべてが不変となる。火は起きない。風は吹かない。波は立たない。光は届かない。時計は回らない。そのような状況で観測者は観測者たり得ない。世界の終わりである。だから世界は変わり続ける。ぼくが観測を続けている間はいつまででも変わり続けるのだ。

 そしてまた「世界はぼくのものであり、ぼくは世界そのものである」に戻ってくる。この辺りをずっとループしている。奇跡待ちの状態である。しかし誤ってはならない。奇跡はぼくだけが起こすことができるのだ。ぼくが一切の作者なのである。