天国の在り処

立ち止まりなさい、あなたはどこに向かって走ってゆくのか。天国はあなたの中にある。他の場所に神を求めれば、あなたは永遠に神を見失ってしまう。
(『シレジウス瞑想詩集(上)*1』第一章/アンゲルス・シレジウス/植田重雄・加藤智見訳/岩波書店/1992.3.16)

 ニーチェは明らかにぼくの前にいたんだけど、それ以降は思想的にぼくの前にいると感じた人はいなかった。このシレジウスもそうなのだけどそれはそれで心地よい。思想は行きつくところまで行ってしまうとあとは行動あるのみというか認識的な部分・肉体的あるいは感覚的な部分になってくるわけで、とりあえず思想だけで言ったらぼくはこのシレジウスと同じ段階までは来たのだと思う。読んでいてすごく親近感が湧いた。彼のいうことが分かりすぎて、たちまちの内にぼくはこのシレジウスと友だちになってしまったのだが、こんな感慨はなかなかない。21世紀の孤独者が無数の書物の中から17世紀に生きた孤独な友人(彼もまた孤独であった)を発見できたのだ。これだけでひとつの物語である。

 ぼく自身はキリスト者ではないから彼の言う神とぼくが彼の言葉から読みとった神とではその心象はまるで違うだろう。でも実態は同じだと思う。というかニーチェのいう権力への意志だったりウパニシャッドでいうアートマンであったりが彼のいう神とすべて同じことのようにぼくには思えるのだ*2。さらにぼくのいう運命もシレジウスのいう神と一致する*3

 そんなわけでここ最近は的確な本選びができている。すばらしい。

 あまり関係ないけど、宗教のはじまりって哲学なんじゃないのかなってちょっと思ってる。こないだ読んだグノーシスの本*4だって現代で言う宗教とは全然イメージが異なっていて信仰以前に世界の始まりやこの世界における善と悪を哲学していた。ただしそんなことができる人は限られているわけで、それに参加できない大衆が理屈は分からないなりになんか正しいらしいということで宗教化していったんじゃないのかなあなんて気がしている。現代でいえば科学がそれに近いというのはほとんど直観で肯定できる。宗教としての枠組みをつくるのはもちろん限られた知的階級側の人間だろうけど、やっぱり神や思想その他に聖性を与えるのは大衆なのだと思う。

*1:

シレジウス瞑想詩集〈上〉 (岩波文庫)

シレジウス瞑想詩集〈上〉 (岩波文庫)

*2:まさかニーチェキリスト教詩人の思想に同じものを見いだせるとは思わなかった。

*3:キリスト教的な意味合いやニュアンスは除く

*4:

グノーシス (講談社選書メチエ)

グノーシス (講談社選書メチエ)