世界一やさしいメールを無力化するもの

本当はね。
本当の本当はね。
世界はあなたのことを愛しているよ。
あなたの周りの人々も。
あなたの周りのお人形たちも。
 
あなたは知らないだろうけど。
あなたは決して信じないだろうけど。
 
だから愛しい人、
あなたが幸せでいられますように。
あなたが世界に許されますように。
あなたが、あなたを、あなた自身を許せますように。
 
あなたの幸せだけが、あなたの安寧だけが、私ののぞみです。
 
八本脚の蝶 ◇ 2003年4月


 これは二階堂奥歯が自殺する半年ほどまえに恋人から送られてきたメールの一部です。何回読んでもこんなにやさしいことばは他にないような気がする。ここまで人を救えそうな文章はそうそう書けるものではない。

 だけど、もしこれがぼくに届いたのだとしても、なにも感じないだろう。少なくともこれを書いた人の熱量に釣り合うほどには感じないだろう。せいぜい、食べたアイスの棒にあたりの文字を発見するのと同等の個別のラッキーな事象と変わらないくらいだと思う。これを書いた彼が悪いわけではない。これは死にそうな恋人に送ることのできる最高の文章だ。

 それでも「やっと救われた。これでこの先何年でも生きていける。」とは絶対にならない。*1そこには深い溝がある。このメールがどれだけ素晴らしくても自己の外側で起こったことでしかない。文中にもある*2が、自分でやるしかないのだ。人生において起こるすべての問題は結局「自分がなにをするか」以外にないのだから当然の話である。

 と書いたのは、現状それほどの退屈に苦しんでいるからだ。何をしても楽しくない。だから何もできない。普段は気にしないけれどどんな些細な行動でも楽しみが必要なのだ。より具体的に書くなら楽しみとはドーパミンだのβエンドルフィンだのという脳内物質的ななにかだ。それらが不足している状態から自殺まではそう遠くない。「そもそも生きていることに意味はない」「なるべく早めに死んだほうが無駄に疲れなくて済む」。二手でたどり着く。これだけでいとも簡単に死が最も合理的で無駄のない解決方法だという結論に達してしまうのだ。世界一やさしいメールを無力化するものは「退屈」だった。

 たぶんそれで彼女は死んだ。ぼくはまだ生きている。死ぬまでは物語になれるようにがんばる。

*1:もちろん二階堂奥歯がこのメールを受け取った時にどう思ったかは知らない。

*2:「あなたが、あなたを、あなた自身を許せますように。」