短歌の解説です。

 解説を希望されたのでキュバル氏(@16hu_)主催の第11回短詩会に投稿した短歌作品の一つを解説します。まず当該の短歌と選評を。

孤児院に並ぶぼやけたハピネスが古いえいえんのしるしでした
 
選:これって、冬らしい言葉出してないのに、12月のイメージが出ました。そういうの好きです。
選:作者による解説を希望して。   

解説

 孤児目線で読んでもらえると分かると思うんですが、ハピネスってちょっと遠い気がするんですよね。やっぱり自分のいる孤児院の外に本物があるような感じがして。でも施設にいる大人は「この日々が、ここにあるものがハピネスなんだよ」みたいな綺麗事を言う。だから子供たちは実感がわかないけどそうなのだと思い込む。思い込もうとする。実感がないからハピネスがぼやけてるわけですね。
 
 そしてあるとき、孤児院にある古い写真にその綺麗事を言った大人の若い時の姿や当時の他の孤児たちの姿が映っているのを見つけます(短歌では削りましたが彼は元々この施設で育った孤児でした)。自分が生まれてもない頃の写真なのに、その中の彼らが生き生きと動く姿を見たような気になって、その日々はもう書き換えることのできないもの、つまり「えいえん」になっていたことを知るわけです。
 
 それからふと気がついたのは、写真のなかに並んでるテーブルも椅子も絵本もいま自分が接しているものと同じものだったこと。現在目線ではそれらは実感のわかない「ぼやけたハピネス」に過ぎないけれど、「えいえん」化した写真の中では確かなハピネスに見える。
 
 つまり「ハピネス」は「えいえん」の中にあってその「しるし」が、まさに普段目にしているこの椅子やテーブルであり、ひいてはこの日々だったのだという事に気がつくという小さい子どもの短歌です。
 
 蛇足ですが「ぼやけた」というのは、実感がなくてぼやけているというのと時間的に隔たっているからぼやけているというののダブルミーニングです。完璧すぎる短歌ですね。