メモリ解放

 たとえば目の前に置かれた箱ティッシュも見えている面だけが世界の内側であり、見えていない面は世界の外側なのだった。見えていない面はほんとうにあるのか? 見てみなければわからない。見えていないだけだろ無いわけがない、と考えるのは当然の話だが、それはあくまで思考の上でのことであって、知覚的な理解ではありえない。知覚できないものはすべて虚像世界に属するのだ。

 普段の生活では虚像世界も実像世界もいっしょくたにして生きている。それで不自由ないと思っている。だけど、虚像世界が実像世界を凌駕してきているという実感がある。無いものに頭を悩ませるということだ。

「こうなったらこうしなくては」「これをするためにこれをしなくては」etc。

 これは知性だろうか? いやちがう。これは機械だ。