読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朝までの旅人

 ぼくはぼくが知っていることだけが世界だと思っている。生まれてから死ぬまでぼくはぼくが経験できることの中でしか生きられない。ぼくはぼくが感じること以外の何物も感じることはできない。当たり前ですが。

 天動説が当たり前だった時代の人にしてみれば、たしかに頭上の天球が動いていたのです。彼らにとって地動説なんか冗談の一種です。地面なんかが動いてたまるか。緯度、経度、国、住所がちゃんと定まっているんだ。「ローマは一日にしてならず」どころの話ではない。地面が動いていたらまず追いつかなくてはならない。そうしたら「ローマは永久に追いつかず」という話にもなってくるじゃないか。という考えの人もいたに違いありません。

 いま現在は地動説が主流のようですが、いつまたひっくり返るかわかりませんよ。ダークエネルギーが満ちた宇宙空間に地球などといういびつな球体が自転しながら浮遊していて、さらに太陽の周りを回っているなどという話を本当に信じているんですか。「おいおい寝て起きたら違う場所にいるのかよ」という感じで千年前なら完全におとぎ話ですよ。だからぼくは信じているんですけどね。ロマンがあるじゃないですか。人間の予想なんかはひとつ残らず裏切っていってほしいですね。実際のところ誰も本当のことなんか知りたくないんですよ。目の前の本当のことを誰も信じないでしょ。本当のことなんかより面白いことを求めているんです。寝て起きたら違う場所にいた方が面白いじゃないですか。ということは実際に違う場所にいるんですよ。そもそも自分と太陽の位置関係で朝だとか夜だとか言ってるだけですからね。地動説なんだから朝は「朝」っていう場所にいるんです。夜は「夜」っていう場所にいるんです。同じ場所にいて暗くなったり明るくなったりしている方がおかしい。天動説を信じてるわけじゃないならなおさら。朝が来るんじゃない。自分が行くんです。

 ぼくの知っている世界は概ねこのような設定で動いています。設定はぼくが決めることができます。言ってしまえばいわゆる観念だとか常識だとかそういうのが世界の設定です。ぼくが信じ切れる限り世界はそのようにあります。「自分はいま悲しい気持ちだ」と信じ切れるなら何もなくたって悲しいんです。なぜわざわざ悲しくなるのか。だって人間です。悲しい。

 ハロー、ぼくのことばが届く人。きみは選ばれた存在です。この文字を読むためにあらゆる条件をクリアしています。おめでとう。それ以外の人の世界にはこの文字列は存在しません。なんてね。地動説時代の狂人はこんなことを考えていたよ。いたんだよ。

広告を非表示にする