ウイルスちゃん

 まぶたの裏側をじっと見る。おそらくこれをやったことのある人はそれほどいないのではないかと思う。目を開く。見える。目を閉じる。見えない。本当でしょうか。では目を閉じて太陽を見上げましょう。まぶたの裏側が赤く見えていますね。目を閉じていても見えていますね。こんな簡単なトリックに誰もが引っかかっているのです。「目を閉じる」という言葉は日常言語であるわりに幾分比喩的な表現であって、ここにその錯覚の原因があるように思います。誰でも知っている当たり前のことをあえて書きますが、実際には目ではなくまぶたを閉じているのです。網膜に射し込む光を遮断しているのです。眼球を閉じることはできない。まぶたを閉じていても眼球はそこにある。至近距離でまぶたの裏側を見ている。

 光が遮断された状態では像は結ばれない。先ほどの実験では太陽という光度の高い光源によってまぶたの裏側が透けましたが、それほど強烈な光がない場合は何も見えません。というのもまた誤り。暗闇が見えているのです。だれも見向きもしない暗闇がそこにはあるのです。

 光の射さない黒目とまぶたの裏の関係性。ぼくはその暗闇を楽しむ。まぶたの内側はぼくだけの場所だ。

「まぶたの、
 外側でせかいは構築されるからね。」*1

 まぶたの内側から世界を覗いているぼくは世界の外にいる。最近は「世界の外にいるぼく」でいられる瞬間が増えてきている。

*1:暁方ミセイさんの処女詩集『ウイルスちゃん』収録「生物」より。

ウイルスちゃん

ウイルスちゃん