すべての書物を読んでしまった

自我は真理以上である。真理は自我の前には何でもない。

 このシュティルナーのことばを見た瞬間、憑き物が落ちたように読書という地獄から解放された。二十歳そこそこで読書の味を覚えてから約十年もの間、ほぼ毎日読書に時間を費やしていた。はじめはそうでもなかったのだけど、いつの頃からか意味のある読書にこだわるようになった。「あー楽しかった」というだけの読書では物足りなくなっていた。

 ぼくは知らず知らずのうちに「どうやって生きたらいいのか」「なにをするのが正解なのか」を求めていたのだと思う。だけどどの本にも求めていた正解はなかった。それらしいものはあったけど、どうもうまく扱えなかった。振り返るとどれも「色即是空」としか書かれてなかった。シュタイナーから見たらそうなんだろう、サルトルから見たらそうなんだろう、ニーチェから見たらそうなんだろう、バタイユから見たらそうなんだろう、もう全部これ。彼らの観念、彼らが見た<色>でしかない。それを理解したところで、もしくは理解できなかったところで、何が変わるだろう。すべて<空>である。内容なんかなんだってよかった。確かなことは、著者も登場人物もぼくとは違う存在であるということ。その大前提だけだった。つまり本から読み取れるのは「おまえはおまえの生き方を生きろ」ということでしかなかった。まだ読んでない本も、まだ書かれてない本でさえも、ぼくとは別の存在が書いている時点で同じことである。というわけで、ぼくはついに「すべての書物を読んでしまった」ことになる。

 そのあたりのことが冒頭のシュティルナーのことばでやっと自覚できたというわけだ。少し説明すると、<自我以前にはなにも存在できない。真理だろうが神だろうが自我があってはじめて成立するものである。自我が「認めて」はじめて成立する。自我がないところに真理などありはしない。他の何物もありはしない。自我がすべてである>。こんな感じである。

 これからは好きなことばを探すことはあっても、正解を求めて読むことはないだろう。意味を求めて読むことはないだろう。ぼくはやっと真理から解放された。