貯金をすることにした。そのためにまた労働を始めた。社会的な意味合いは無視することにした。これはぼくがぼくとして生きるために必要なものを集めるための労働だ。ぼくの関心に制限をかけないための労働だ。自由を欲するときに人は不自由であるのだ。自分の関心に疑いを挟まないこと。そしてその関心から発する行動に確信を持つこと。これらが自由の要件だとぼくは思っている。自由は歓喜と熱狂の残骸だ。追い求めるものじゃない。

 労働は嫌だけど、退屈するのはもっと嫌だ。わざわざ長生きする気にはなれないが、いま死ぬことを全身で喜べないのと同じようなものだ。ぼくは歓喜と熱狂を欲するのだ。退屈を殺すために。