時間を忘れたい

時間はずっとぼくから離れずについてきている。ぼくが進んだ分だけ時間も進む。時間がぼくを置いていくことはない。時間の一単位をどれだけ細かく区切ってもぼくが存在しない瞬間はない。ぼくが存在しないとき、時間も存在しない。時間とぼくは常に一対一だ。

しかしそれは錯覚ではないだろうか。時間とぼくを区別する必要はないのだ。そもそも時間などというものもなかった。時計が指し示す時刻は、座標空間上の一点を指し示す数値であるにすぎない。

「時間」という語も他の言葉と同様、あるがままの自然から「時間」と「時間でないもの」を区別するために人間がつくったものなのだから、区別する必要がなくなったらもう不要だ。普段わざわざ住所に日本国などと書かないのと同じように不要だ。

大体こんなに離れがたくくっついているものがぼくでないことがあるか?
仮にぼくが時間を欠損したとして、そのときぼくがどうやって存在しているのか想像もつかない。

これから待ち受けている時間も追い立てられる時間もどこにもない。死ぬまでの時間の長さに重圧を感じるぼくや残された時間の少なさに追い詰められるぼくがいるだけだ。「時間は嘘である」と無意識のレベルで承認できればそれだけで解放されうる苦しみなのだ。 

 
これらの悲鳴は時間を忘れたい一心で書いています。

およそどんなことだって死ぬまで信じ込むことができればなんでもよいのだと思います。狂気を根拠に何かを信じることができればそれが一番素敵なことです。