日記7:金と女

あけましておめでとうございます。いままで考えたこともなかったが、この挨拶は年末を無事に乗り越えて一安心という意味合いの挨拶だったらしい。年末に「よいお年を」と挨拶をするのも、うまく年末を乗り越えましょうねという意味なのだそうだ。*1

こんなことをわざわざ調べたのは、よい年などというものがないなんてことは良識ある大人なら分かっていて当然のことなのにどういうつもりでこの挨拶があるのだろうと思ったからに他ならないが、もしかして人知れず世間に増殖していたダダの黴菌だろうかと嬉しくなっていたため、調べた結果がこれでげんなりした。

年が明けてからほとんど外に出ていないがどうにか初詣には行くことができた。その際に目をつけておいた木があるのだが、これは個人的にこれから推していきたいと考えているメンバー(世界というグループの一員)だ。昼となく夜となくぼんやりしていると人間社会の流れに取り残されてしまっていて、気づいたら二週間近く経っている。そのスピード感の違いから人間種族との交流が難しく思えてきたということもあって、この子に穿った穴を日々参拝している。穴を覗き込んで満足しているところをフロイトとかいう変質おやじに見つかりでもしたらすぐに無意識の欲望を世界中に暴露されてしまう恐れがあるが、奴もとうにくたばっているはずなのでその心配は要らない(そもそも日々参拝しているというのがレトリックの一種であって事実ではない)。

しかしトリスタン・ツァラが何かのインタビューで堂々と回答していた「人生でいちばん好きなのは金と女です。」というのがいまさら真に迫ってきているのも事実だ。これがあまりにも真実に近いので次に行き合った人間に突然この言葉をこの世の真実として告白したいくらいには何かが高まってきている。何かというのはいうまでもなくぼくの社会性のことであるが、いまはまだ冗談で言えるこの言葉も、しまいには冗談でなくなってしまうのが人生の恐ろしいところで、欠乏の度が昂じてくるにつれだんだん危険になってくる。「姉さん事件です」という声が夏の日の蝉のようにしつこく鳴り続け、流れる雲に混じって高嶋政伸の顔が空中に申し訳なさそうに浮かんでくるあたりで頭が朦朧としてきて、体内の柔らかい部分から事件がどろりと世間に漏れ出してしまう。金のために常軌を逸した人間などはいくらでもあるし、女のために気が狂ったやつらはよく結婚というものをやっている。たいへんだ。その後で正気に戻らなければまだいいのだが、たいていは手錠が嵌められた時点で正気に戻ってしまう。ほんとうにたいへんなのだ。

*1:

昔の日本では大晦日(おおみそか、12月31日のこと)を迎えるまでには沢山のしなければならないことがありました。(一部は今でも残っています)

1.支払い。昔は日用品をつけ(クレジット)で買い年末に清算していた。この支払いが出来るかどうかが庶民にとっては一番の心配ごとだった。
2.大掃除
家中のチリを払い、障子を張替え、畳を干す。最後に神棚や仏壇の拭き掃除。
3.すべてが終わると年越しそばを食べて一年の無事を喜びあい、新しい年が無事迎えられることを神仏に感謝しお酒を飲んだ。

年末に外出先で知人に会ったとき、これらのすべてのことを念頭に「今年もいよいよ終わりですね。大晦日を迎えるまでいろいろ大変でしょうが、お互いにがんばりましょう。どうぞ良いお年を(無事大晦日が迎えられますように、夜逃げなどしなくて済むように)」と挨拶したわけです。

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