夏の骨格 肩甲骨編

2018/07/29

頭痛にやられて何もできないでいる内に日が変わってしまった。同居人に「きみは頭痛持ちだもんね」と慰めの言葉を掛けて頂いたのだが、ぼくは金持ちとの格差に愕然としてしまった。どちらも生得的な性質であって選択権は与えられていなかった。これはものの例えだが、池から女神が現れて「あなたが落としたのは頭痛ですかお金ですか」などと訊いてくるような体験もぼくにはなかった。自助努力で財を成した人間がいるだろとお叱りの声が聞こえてきそうだが、ぼくが金持ちと言われて想像するのは、生まれ育った環境がすでに十分以上に整っていて金のために自分が何かをするという発想を持ち合わせていないような人種のことなのだ。総資産額で人間を測るような器用な真似はぼくにはできない。自分で財を成したと言われるとどうしても紙幣に火をつけて「どうだ明るいだろう」と言うような人間像しか描けないのだ。一代で財を成した人物をディスっているわけではない。そういう人物が周囲にいた試しがなく、テレビやネットで見かける有名人でしかないため、教科書でみた成金の絵以上のリアリティを感じられないということなのだ。あの絵にリアリティがあるというわけではないが、具体的に金持ちというイメージを持ち合わせていなかった当時のぼくにとってひとつの人間類型を植え付ける程度にキャッチーなイメージではあった。今後ぼくに金を垂れ流してくれるような実業家の人でも現れるならばその時にイメージを刷新するくらいの準備はあるのでいまのところは見逃しておいてほしい。ちなみに池から女神が現れても正直に答える勇気はない。

日中は友人と遊んだ。カレーを食べて本屋をうろついてダーツをした。本屋では栗原康『何ものにも縛られないための政治学』とアラン・セルジャン『アナーキストの大泥棒』を購入した。5400円。前者は以前読んだ伊藤野枝の伝記が最高に面白かったため、後者は帯の「稀代の大泥棒にしてフランス最後のアナーキストのモノグラフ」という煽り文を見てぼくの変人好きが刺激されたため、購入するに至った。眠いので今日はこれで終わり。