塩田千春展:魂がふるえる

#20190913 @六本木 森美術館

塩田千春展:魂がふるえる」を見てきた。美術館を巡るのは嫌いな方ではないが、実際に赴いてみても宣伝に使われている写真以上の体験ができるような展示は稀で、人の多さに疲れて帰ってくるだけみたいなことも少なくない。この展示についてはそんなことは一切なく、異常に満足度が高かった。絵も動画もインスタレーションも大きいのも小さいのもだいたいよかった。

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DNAからDNAへ

魂の表現

最も圧倒されたのは「静けさのなかで」だ。焼けたピアノと誰も座っていない椅子、それらに絡みつく無数の黒い糸。この作品は、塩田が九歳の頃、隣の家が火事になった翌日、家の外に置かれていたピアノから得たインスピレーションで作られた。その日、空の下に放り出された焼けたピアノは、九歳の少女の目には焼ける前の綺麗な姿よりも美しく感じられた。

「真っ黒に焼けたピアノは以前にもまして美しく、その存在を象徴するかのようだった。」とキャプションには書いてある。多くのものを剥奪された後にまだ残っていた何かを美しく感じられたのだと思う。その「何か」が「魂」であるという等式がおそらく彼女の創作の源泉になっている。とはいえ言葉で「魂」と言ってみたところでなんの説明にもなっていないのだから、彼女にしても手探りでアートにしていく他に表現することが出来なかったのだと思われる。

会場全体から感じた作品の深みはおそらくこの「剥奪された後に残る魂」に焦点が向けられていることによるものだろう。どれも沈黙に委ねる作品ばかりで、うるさくアピールしてくるような作品はなかった。「ただそこにある」ことの絶対性がむき出しにされていることで、日常的に見逃されてきた存在性が来場者にもわかるように提示されていた。

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静けさのなかで

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静けさのなかで

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静けさのなかで

土のなかに住む人々の世界

ハッとしたのは「土の中」という作品だ。アートに限らず創作物の多くは、人々が知っているけど忘れてしまった(=意識されない)ものを表現しているのかもしれないと感じたからだ。

ぼくには普段からつきまとっているひとつの疑念がある。それは、生まれてから死ぬまでにぼくは何も新しいことを知ることができないのではないか、というものだ。「知る」というのは、もともと知っていて忘れていたものを思い出すことなのではないか(ここでいう「知る」は頭脳的な知識ではなくて、肉体的で脱我的な知のことだが話が逸れるので深入りしない)。そんな疑念さえ忘れていたところにこの作品が並んでいた。何らかの啓示を与えられたように感じた。

キャプションには「作品では、目に見えていない領域への意識を覚醒させるため、土のなかに住む人々の世界が描かれている。」と書かれてある。「土のなかに住む人々の世界」は「個人の無意識世界」の目に見える表現だ。植物が土から養分を吸い上げるように、人も無意識世界から非物質的なエネルギーを受け取っている節がある。そこに向けた意識を覚醒させるという作品の意義は身を以て感じられた。

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土の中

開催概要

期間:2019.6.20(木)~ 10.27(日)
   会期中無休
時間:10:00~22:00(最終入館 21:30)
   ※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)
   ※ただし10⽉22⽇(⽕)は22:00まで(最終⼊館 21:30)
場所:森美術館六本木ヒルズ森タワー53階)

関連リンク

https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/shiotachiharu/