夏の骨格 大腿骨編

2018/07/30

投稿用の小説について具体的に考え始めた。とりあえずなんのアイデアもないながら期限は二ヶ月しかないのでざっくり計算して一ヶ月毎日一万字書いて残りの一ヶ月で推敲すればいいだろという安易な計画で、わざわざ電車に乗って良さげなコワーキングスペースに行き、愛想のない店員にうろたえてから借りてきた猫のように入店したわけだが、ここで費やした二時間がもたらしたものは計画を練り直せという当然といえば当然のような結論だけだった。もちろん一文字も進んでいない。これはまずいと思ったが、そこで飲んだピーチピンクフルーツフラペチーノがうまかったこととは相殺できないので、もう少しちゃんとやらないといけない。ちゃんとやらないといけないと思っていても何も進まないというのはわかりきった話で、具体的な行動にして進めていかないといけない。そう思ってコワーキングスペースを出るとなぜか足がシーシャ屋に向かった。店内は凄惨な様相をしていて、入り口では人間の臓物めいたなにかに手を突っ込んだ店員が朗らかな笑みをこぼしていたのだが、これはマフィアの下請けが裏切り者の肉塊を処理していたわけではもちろんなく、シーシャに使うフレーバーのシロップがだだ漏れしていただけだった。大変だよねと思いつつぼくはその脇で、これが事態を好転させる唯一の方法であるかのような真剣な面持ちで煙を吸っていた。リラックスしている時の方がアイデアが出やすいというのはよく聞く話で、例に漏れずいくつかのアイデアが浮かんで来たので少しは前に進んだ気がしている。

ここ二三日文章を公開しているが、過去に向かって書かれたようなこんな文章を公開してどうなるのかと考えないこともない。とはいえ飽きるまではやるだろう。飽きたらやめる。なんにせよこういうことを書いた直後が一番やらなくなってしまいがちだということはわかっているがそういうかっこ悪さも含めてなるべく正直でありたい。

2018/07/29の続き

2009年放送版ハルヒの残りと、消失(映画)をみた。消失は当時映画館でみてめちゃくちゃおもしろいなと思って普段は絶対買わないDVDまで買ってしまったくらい好きな作品なので改めて観てもやっぱりおもしろい。ある日目が覚めたらハルヒのいない世界になっていて、そこからなんとかして元の世界に戻ろうとするキョンの執念が最高なのである。実際に目の前に繰り広げられているさして不都合もないような世界、なんならそのまま居座った方が快適に暮らせそうな世界よりも、周りの人物や状況すべてに否定されつつも世界中のだれも知らない本当の世界に戻ろうとする意思がたいへん美しい。おかげでモニターに「YUKI.N>」と映るだけで涙が込み上げてくる体にされてしまった。こういう信念の話はよい。自分以外のすべてが変わり果ててしまって、それでも自分の意思を曲げないでいるのはどれだけ難しいことだろう。そしてどれだけ美しいことだろう。べつにこれはアニメに限ったことでもない。この馴染み深い現実世界の中で日々を過ごしている人々にだってそれぞれ「こうありたい」だとか「こうであったらいいのに」というようなイメージがあったりするんじゃないのか。それはキョンが戻りたいと願った「あるべき世界」と本質的に同じなんじゃないのか。それを固持することは誰にとっても難しいだろうけれど、使い捨てであるべき客観的固定的現実社会を、理不尽な目に遭いながら抱いてきた各人各様の「あるべき世界」よりもありがたがる必要なんかないだろ。そんなことを思った。