夏の骨格 万引き家族編

2018/08/04

万引き家族」を見てきた。(ネタバレがどうとか面倒なので以下すべて文字を反転させています。)

血の繋がりのない家族の日常とその帰結、大枠はそんなような話だった。虐待されている子供を近所で拾ってくるのもそれが家族として受け入れられているのもよかった。大正時代のアナキストである大杉栄が子供をあやしながら洗濯物を干していたとか近所の人たちからはすごく慕われていたいうエピソードを想起した。世間的には悪事を平気でやる危険人物として見られるけれど、本人はべつに悪いことなんかしてなくてただ自然に生きてるだけというところで共通しているように思ったんだろう。実際、寒い夜に連日外に放置されている子供を見かけて可哀想に思うのも、連れてきた子供がかわいいのも人間の自然な感情でそれ自体に何ら責めるべき点はない。それなのにその自然な感情をそのまま行動に移すと大悪党みたいなことにされてしまう。なぜならそれが社会通念上許してはいけないとされているルールに反しているからだ。ただそれだけが問題とされているというのは、誘拐された側の両親が二ヶ月もの間なにもせず捜索届けすら出していないことからもわかる。居なくなって困っているどころかこのまま見つかってほしくないという気持ちが表現されている。つまり当事者間では何も問題にはなっていないということを強調している。

「家族」である彼らはなにかを敵視しているわけではないがゆえにアナキストのいう相互扶助よりもリアルで良心的な人間の暮らしを営んでいた。粗雑な人間ばかりだったけどその分正直に生きている感じがした。この「家族」の在り方をこの粒度で描写できているというのがこの作品の核だと思う。この距離感の共同体が自然にできるなら血縁関係のない自由家族みたいなものがもっと自然にあってもいいと思う。

はじめに枠があってそこに友達100人の思想ではめ込まれるから全然合わないようなやつとまで無理に付き合っていかなくちゃいけなくなる。だから建前が必要になってくるし、自分は何とも思ってなくても建前上どちらかに加担する必要だって出てくるし、そういうのが苦手なやつは心を病むし、それ以前にそこに居たくもないのに強いて居なくちゃいけないとする時点で嘘なんだ。正直じゃないんだ。そりゃ歪むだろ。その点、彼らは歪んでなかった。いい歳のおっさんがなんのためらいもなく子供と本気で雪だるまを作り始めるくらい自然な人間であった。だいたい子供に教えられることが万引きしかなかったってなんだよ、悲しすぎるだろ。そうしないと生きていけなかったってことだろ。そんなの絶対に彼のせいにはできないはずだ。学校にも行かなかったようだし、能力がないというよりも機会がなかったんだろうと想像するのは難しくない。それでも終盤で保護される子供達に向けられる世間的な優しさは彼には向けられない。彼だって被害者だったのに、運が悪かったばっかりに、子供の時に発見されなかったばっかりに犯罪者扱いだ。ひどい話だ。彼がやったことに悪意は感じられなかったというのに。

最後には社会から派遣されてきた無関係の部外者に潰されてしまうというわかりきった結末が待っているのだけど、そこで無駄な抵抗をしなかったのもよかった。どうせはじめから期限付きだってことを受け入れている彼らの在り様には共感しかなかった。