バカにでもわかる暗号の時代

一般的な了解として文章は一階で読むもののようだ。二階とか三階で書かれた言葉は一階からの反省を伴った視点がないと簡単に破棄されてしまう。言葉は過去ではない。目の前に再生されてすぐに消える。だから消える前に掴まなければいけない。掴んだそれを積み重ねてやがてぼんやりと立ち現れる存在と非存在の境界線上のイマージュを楽しむことがぼくにとっての自然な作法だった。それを掴むことができなければ、何が表現されていたとしても何も表現できていないのだ。輪郭だけのオブジェから客体という亡霊へ向けた何か、生をメディアムとしない何かがただ置いてあるだけになってしまう。一階で生を忘れることを学ばされてきたダンスマカブラたちが慌ただしい。ぼくにしても二階や三階だけではなくて、もっと上の方まで各階からずらっと視線の糸が伸びて緩んで美しい緊縛のきのこのように、クイーンの白い肌を結像する意味の記念建造物を宙吊りにしてやりたいと思ってはいるのだ。意味が明瞭であるならそれは意味が無いことが不明瞭だということだろう。あなたの月はきれいですか? ぼくの月はありません。