絶対俳句宣言

 絶対俳句とは、俳句独自の魅力だけで成立しうる俳句である。十七音前後の言葉のつらなりから意味を抜き去ったあとになにかが残るのなら、それは純粋に俳句としての魅力といえるだろう。意味は他の形式に転用することが可能である。だがその句に備わった魅力をすべて転用することはできないだろう。その転用不可の魅力だけで出来上がるものが絶対俳句である。

 絶対俳句とはディスコミュニケーションの俳句である。極力意味などの不純物を排してつくった句であっても読者が後からどうにでも意味づけすることはできる。幾通りにでも解釈できる。だからこそディスコミュニケーションとして成立するのである。込められた意味というものが無いのだから読者に伝わるはずがない。その上で読者は好きに意味づけすることが可能なのだ。元々ないものを勝手に受け取るのだから、これはつまり非疎通の授受なのである。疎通にこだわらないことによって得た自由を駆使することで、意味を飾り立てているだけの空疎な言葉よりも広大な魅力を表現することができるのだ。

 以上のことは実利に堕した者、言葉の美に不感なる者を除いて賛同いただけるものと思う。われはこれより絶対俳句を創始していかんと励む所存なり。これを以て宣言とする。