2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

神さまになる

偽物の神さまになって、本物がいないことを証明しよう。

どうせ

わたしはどうせ生まれてしまったよ

自由の証明

すべては運命によって決まっているがゆえにぼくは未来を知らない。ぼくが作る未来ではないからだ。そして運命はぼくの意思を一切反映しない。だからぼくは何も選ぶことができない。だが、その選択の余地のなさがぼくの自由なのだ。 それを感じるのが俳句だ。…

第四夜

金縛りにあった夢を見た。 最近は夢をはっきり覚えていないことが多くて、明晰夢を見るための意識も薄れてきた。夜に期待をかける日中の過ごし方ができていないという方が当たっているかもしれない。なんにせよ、明晰夢にリソースを振り分けるための心理的余…

決まっているだけ

ぼくがもう助からないことは確実である。ただしそれも、ぼくが悪いせいで引き起こされる悲劇ではないと確信することによって無意味化される。善くも悪くもない。ただぼくが助からないだけだ。そう決まっているだけなのだ。

慣れ

現実をフィクションとして受け取ることに慣れてきた。 ——こうして文章を書いているぼくはいわゆる自我である。そしてこれを書きたいと思っているのは自我ではない。書きたいと思わせられているのが自我である。分かりやすいのが気分で、自我にはどうすること…

運命という密室にて

ぼくが話す言葉はいずれにしろ誰にも届かない。どれだけ思いを込めても、どれだけ巧妙に話したとしても届かない。誰にも届かないから密室なのだ。密室に反響するのが主観的に悲鳴でなくなったところで結局のところ悲鳴にしか聞こえない。ただしそれを聞いて…

戦争を知らないぼくたち

戦争を知らないことが悪いのなら戦争を始めたらいい。戦争が終わってよかったと思うのなら戦争を知らない子供が増えることを喜べ。そうでなくてはおかしいだろう。

密室は夢をみる

意味深なキャッチコピーを思いつくことがある。今日の場合、タイトルの「密室は夢をみる」がそうだ。 いつもちゃんと意味があるのだけれど、それを魅力的に提示するためのストーリーをぼくはまだ作れないでいる。今回に限ればブログタイトルである「悲鳴は密…

思いつき

ふと思ったのだけど、ニーチェの発狂はひとつのゴールだったのではないか。ニーチェという運命がこれ以上進めない到達点が「この人を見よ」だったのではないか。 証明可能な命題ではないので、深く考えず、単にニーチェという人物に向けるぼくの勝手なまなざ…