リハビリテーション

由芽子さんとピアスの話をした。

会話って難しい。相手に何を聞いていいのかがわからない。自分の何を話したらいいのかがわからない。「思ったことを話せばいいんだよ」って天使がささやくのだけど、「思うことすらできないの」って答えると「それならどうしようもないじゃん」って消えてしまう。天使もあんまり頭がいいほうじゃないから、困ると逃げるんだ。

でも由芽子さんとの会話は楽しい。楽しいからできるだけ続けたいと思うのだけど、次の言葉を発せないから続かない。それに相手はあんまり楽しそうに見えない。子供に付き合ってあげているような感じが伝わってくる。しょうがないなあって思われている。でもぼくはもう子供ではない(ことになっている)から、いつかそれにも限界が来る。子供なら許せることでも大人がやったら許せないことなんていくらでもある。だから大人になると窮屈に感じるんだ。ただ生き延びただけの子供は窮屈さを跳ね返す力を保有していない。許された世界は狭くなる、身体は大きくなる。だから苦しい。これでも子供のころに比べれば武器はいろいろ揃ったのになあ。

もしかしたら自分はこういう人間だって規定してしまえば、その枠内で演技することによって逆に自然に振る舞えるようになるのかもしれない。相手にどんな影響を与えてしまうにせよ自分がこんな人間なのだからそれは当然の結果なのだと受け容れることができるかもしれない。なんだか諦めに似ている。だったらできそうな気もしてくる。何もないぼくでも諦める経験くらいはあるんだ。

好きなこと、嫌いなこと、ほしいもの、捨てたいもの、言葉にしていこうと思えばいろいろとテーマはある。テーマがあれば文章を書くことの助けにもなる。そうだ。ひとりインタビューだ。質問を考えて自分で答える。会話に使えるスキルを伸ばすことにもなるような気がする。

リハビリテーション(英語: rehabilitation)とは、身体的、精神的、社会的に最も適した生活水準の達成を可能とすることによって、各人が自らの人生を変革していくための手段を提供していくを目指し、且つ時間を限定した過程である。

リハビリテーション - Wikipedia