ゲーム理論から量子論へ

 今週はずっとゲーム理論の本を読んでいたけど*1、興味が日に日に量子論へと移ってきたので今日でやめる。じっくり読んでいたら第5章の途中までしか進まなかった。全13章の半分以下だ。応用まで進めなかった。オークションの話が一番身近でおもしろかった。オークションは経済学的に「みんなを幸せにする」システムである(効率的資源分配が可能)とか、オークションであればどういう方式を取ろうが売手の収入は変わらない(収入等価定理)とか、一回だけ入札するのが戦略として合理的である*2とか。こういう身近なものに対する考察を本によらずに自分で無理なくできるくらいになれば、知っているだけでなく理解できてると言えると思うので、量子論ではそういうところまで行ければいいなあ。

 とはいえゲーム理論も基礎的な部分は出来たから何を目指している分野なのかは分かった。要するにゲーム理論を使ってやる(できる)ことは、単純に言って、最適な行動の考察ということに集約される。最適な行動とはつまり利益が最大になる行動である。相手の行動によってこちらの行動もその際の利益も変わってくるため*3、相手が選ぶ行動と相手がその行動を選んだ際にどういう行動を選べば利益が最大になるのかという考察のためにゲーム理論を使う。ゲーム理論が考え出される前はその辺の考察がかなりアバウトにしかできなかったらしく、特に経済学方面で重宝されているらしい。だから経済学の科目としてゲーム理論に手を出す人が多いようなのだけど、ぼくは逆に経済学みたいなのが出てきちゃうとうんざりしてしまう。数字だけならむしろ歓迎なんだけど金がすべてみたいな精神性を感じるともうだめ。一気にさめてしまう。より多くの金が入るとドーパミンが出てそれは確かに快であって利益と呼べるのかもしれないけど、ドーパミンは期待感だけ煽って満足感は与えてくれないわけで不足感ばっかり強調されてしまうから依存しやすいわけだ。見事に資本主義がそれを体現している訳だけれどこの体制はいつまで続くのだろうか。研究が進んでゲーム理論が資本主義は合理的でないとかいう結論を出してぶち壊してくれたら痛快なんだけどな。

 そんなわけで実はゲーム理論に向いてなかったんじゃないかという気もするのだけど、そもそも手を出したのは単に名称につられてのことで予備知識はまったくなかったので仕方ない。でもそれにしては楽しめたからまたいずれ続きができたらと思う。ただこの本はところどころ演習問題の解答がいくつか間違ってる箇所がある。どうしたらこの解答になるのか、もしくはどうしたらこの戦略のパターンが解答から外れるのかという部分でしばらく考えてしまった。独習だととりあえず本を正解として進むしかないから、書いてある内容が間違っているともうどうしようもない。特にこういう類いの本に関しては正確性には気をつけてほしいところだ。

*1:ゲーム理論 - 悲鳴は密室で参照

*2:ただし最適な入札額はオークションの方式による

*3:勿論変わらない場合も考えられなくはないがその場合はあえてゲーム理論を持ち出すまでもない