ぼくであるために

 結局ぼくはぼくにしかできないことをやりたい。それだけがやりたい。余計なものは削ぎ落としたい。いまはノイジーな詩をうたうこと以外が余計なものに見える。ぼく以外の価値基準による良し悪しはもはや関係ないし、ぼくにしかできないことがやれているのなら、出来上がったものが客観的に見て仮に幼稚園児の絵と大差ないものだったとしてもそれ以上の結果はないのだ。どんな形であれ、ぼくはぼくになれればよいのだ。自由であり運命でもある唯一の地点としての自分にかえりたいのだ。

 最近は大森靖子さんが好きです。