個人日誌2021/01/14

詩を書いていた。書いていて片翼が取れたような不自由さを感じた。前はもっと奔放な言葉の使い方ができていたような気がする。ここのところずっと朝が異常に眠くて起きるのがしんどい。睡眠不足のせいで頭が鈍ってるのかなと思うこともあるけど、そういうことでもないのだろう。寝てなくても書ける時は書ける。

だいたいこういう時は何かしらの観念が足枷になっているように思う。

たとえば何かを習得しようとした場合、それがどんな技術だとしても、はじめは一定の型を頼りに習熟していく。基礎が身についてきてさらに上のレベルに至ろうとする時に、今度はその型が邪魔になってくる。いわゆる音楽理論に手を出したことがあったけど、これも最終的に例外という海に船出するために原則を理解しましょうという感じのものだった(覚えることが多すぎて途中で投げ出した)。つまりこの型や原則が上で言っている観念に相当するのだけど、これは技術習得に限った話ではなくてもっと一般的な場面でも同じように考えられる。

たとえば、他の人から見たら何を悩んでいるのか分からないような悩みを持っている人がいたとする(そもそも悩みは誰においてもそういう性質のものだと思うが)。その場合、当人に考える力がないわけではなくて、他の人からでは見えない観念に縛られているせいで抜け出すことができないのだと思う。雑誌の人生相談で北方謙三が「ソープに行け」と回答していた*1のは、相談者が当たり前のように素人にこだわっているから、その観念をぶっ壊したということなのだろう(ほんとか?)。

とにかく観念に縛られて自分で難しくしているのが「悩み」の正体なので、そこから抜け出た途端に問題は解決可能になる。というか問題ですらなくなる。

そんなわけで、余計な観念から抜け出したいと思ってはいるのだが、それが何なのかわからない。とりあえずソープに行けばいいんだろうか。

*1:ちなみに本人はソープに行ったことがなかったらしい。