個人日誌2022/01/01

銭湯で湯に浸かっていると上方の窓から刺す光が湯煙と弱視とによって神秘的な色を帯びて、いまここにこうしていることが思い出の中なのだという感じがした。

関わっている時間が長ければ長いほど重みが増してくるのはどんなことでも同じで、現実が重くなるのは単に起きている時間が長いせいだというのがまず第一にある。その重力に抵抗するように生きていると、ふっと意識だけが時間的に遠ざかって、身の回りにある人や物などの具体的なオブジェたちがまるでぼくとの関係性が完璧に消え去って感じることがある。そういうときに、ああここはフィクションの世界だったんだとか夢の中だったんだとか思い出の中なのだとかそういうことが考えるよりも先に頭に浮かんでくる。最近まともに本が読めなくなっているのも、反世界への道程を半ば以上進んできてしまったからだという感じがする。

今年はよくねむって夢の世界への理解を高めようと思っている。夢に関する本を読むよりも直接的で楽しいだろう。あとはなるべく素朴に偶然的に生きたい。