1375 オーレリア


統合失調症のような連想の飛躍が多くあるようだ。たとえば57ページあたりにもひとつある。
喧嘩の制裁にはいろうとしたができなかった場面で、たまたまそのとき通りがかった労働者が息子を抱えていたということから、その労働者をキリストをかついだ聖クリストファだと思い、わたしは呪われたのだという思い込みが描かれている。労働者が子供を抱えていたという事実が、キリストをかついだ聖クリストファと「抱えている」という一致で接続され、さらに喧嘩の制裁に力をふるえなかったことの決まりの悪さから、わたしは呪われたのだという認識に至る。せいぜい想像で扱うべきところのものが事実として解釈されている。このような記述が至るところで見られる。これが「オーレリア」の話を推進していく力でもあり、ひとつの魅力でもある。

一読してシュルレアリスムの印象があった。ネルヴァル自身はシュルレアリスム以前の人間だが、ブルトンがネルヴァルを持ち上げたくなる気持ちはわかる。上述の性質からその印象を受けたのだと思うけれど語の使われ方自体は突飛なものはないので、むしろ病人か聖人かという感じも強い。ネルヴァルが第二部が世間に出る前に街頭に首を括って死んだのは知っていたので、精神が地上から浮き上がりがちな人間の著作としてリアリティを感じられた部分もあったと思う。

 

 

<目次>
第一部
Ⅰ 夢はもうひとつの生である
Ⅱ その女にはしばらくして、また別な町で会った
Ⅲ 現実生活への夢の流出とでも呼びたいものがこのときからはじまった
Ⅳ ある晩、たしかに自分はラインの岸辺に連れてこられたのだと思った
Ⅴ まわりではあらゆるものが姿を変えていた
Ⅵ そのような考えは、つぎに見た夢でいっそうたしかなものになった
Ⅶ はじめはそれほど幸せだったその夢は、私を大いなる困惑の中におとしこんだ
Ⅷ やがて怪物たちは形を変え、はじめの皮を脱ぎ捨てて
Ⅸ そのような幻が目の前に現われては消えていった
Ⅹ 想念がしだいに私を陥れていったふしぎな絶望をどうやって描いたらいいだろう

第二部
Ⅰ また失った! すべては終りだ
Ⅱ そのような考えが私を投げこんだ失意のほどを語りつくすことはできない
Ⅲ 炎が、心の中のもっとも悲痛な思いにかかわっているこの愛と死の聖遺物を燃しつくした
Ⅳ この幻と、それがひとり居の時間にひきおこした考えとの結果生まれた感情はあまりにも悲しく
Ⅴ そのときから病状はぶりかえして、一進一退をくり返すことになった
Ⅵ その庭に集まった人たちは、みんな星になんらかの影響を持っているものと想像した

あとがき