個人日誌2021/01/21

『賭博者*1』読了。ドストエフスキーは実在の人間の群れの特徴をひとつの類型として見抜く鑑識眼と、それを各瞬間各状況の個人として描くのがうますぎる。面白さっていうのはそういうところに表れるんだろう。

それだけ多くの矛盾を同時にかかえこんでいられるのは、ロシア人だけですからね。

これは主人公が友人に言われる皮肉なのだけど、 ぼくだったらそのまま褒め言葉として受け止められるような言葉だ。いかなる矛盾もなく一本の道を歩むような人間は聖者でしかあり得ないが、これは人間というよりも人間の理想としての存在だろう。他の人間からは矛盾なく見えるだろうけれども、その他者の各視点を総合したら、あるいは本人の内面を覗くことができるなら、矛盾なく存在することはあり得ないと思う。

これに対して、矛盾ある人間はありふれているが、この矛盾を人間は嫌う。だからそれをなんとか解消するなり、それができない場合には覆い隠すなりするだろうと思う。その仕草が人間を中心に向かわせる。要するに普通の人間を目指すようになる。行き着く先が普通の人間だとは決して思わないが、それを目指すのは普通の考え方だ。矛盾をそのままさらけ出す、あるいはその矛盾を誤魔化すのでなしにそのままにしておくのは、ある種の度量がなくては難しい。ぼくには、矛盾をそのまま受け入れて平然と生きている人間が自然体で魅力的に見える。なるべく多くの矛盾を抱えて生きていられる人間がより多く喜びの瞬間を抱え込めると思う。

最近ぼくの書くものが"中心"に向かってしまっているように感じる。それでは何よりぼくがつまらないので、ここらで改めて郁乎の文章を呼吸して自分の文体をめちゃくちゃにしてやろうと思う。

*1:

賭博者 (新潮文庫)

賭博者 (新潮文庫)